少し前から部屋の片付けをしている。
売る本を段ボールに詰め、使っていない物を捨てる。確実に物は減っているはずなのに、なかなか片付いた実感がない。
それだけ、長い間いろいろな物を積み上げてきたのだと思う。
いつか使うかもしれない物。
子どもが描いた絵や、学校で作った作品。
捨てる理由もないけれど、残しておく明確な理由もない物。
一つひとつは、それほど場所を取らない。
だから、その場では捨てずに置いておく。
判断はまた今度でいい。
そうして何年もたつと、決めなかった物が山になっていた。
部屋に積まれていたのは、物というより、先延ばしにした判断だったのかもしれない。
先延ばしをすると、いつか大変なしっぺ返しが来ると言われる。
でも、実際には来ないことも多い。
物が積まれていても生活はできる。
少し狭くても、少し探しにくくても、今日を過ごすことはできる。
大きな問題が起きないまま、散らかった状態に慣れていく。
最初は気になっていた物も、毎日見ているうちに景色になる。
しっぺ返しが来ないから、また判断を先延ばしにする。
ただ、本当に何も失っていないわけではない。
部屋の余白が減る。
掃除に時間がかかる。
新しい物を置く場所がなくなる。
片付けなければと思うたびに、少し気持ちが重くなる。
大きな罰が一度に来るのではなく、小さな不便を毎日払い続けていたのだと思う。
今回、片付けが動き出したのは、犬を飼うことになったからだった。
犬が安全に過ごせる場所を作らなければならない。ケージを置く場所も、歩けるスペースも必要になる。
「いつか片付けたい」が、「今、片付ける必要がある」に変わった。
自分の意志が急に強くなったわけではない。
優先順位がはっきりしたことで、先送りしていた判断をようやく決められたのだと思う。
これは部屋だけの話ではない。
仕事でも、「まだ続けられる」「もう少し様子を見よう」と、判断を保留することがある。
休むのか、辞めるのか、続けるのか。
すぐには決められないし、簡単に決めていいことでもない。
ただ、決めない状態が長く続くと、つらい状態そのものに慣れてしまう。
倒れなかったとしても、休日に何もできなくなったり、家族との時間が減ったり、新しいことを始める余裕がなくなったりする。
壊れることだけが、先延ばしの代償ではない。暮らしの余白が、静かに削られていくこともある。
すべてを今日決める必要はない
ただ、自分が何を保留しているのかは、一度確認した方がいい。
片付けるとは、物を減らすことではなく、決めなかったことを一つずつ終わらせることなのかもしれない。
僕は今、段ボールに本を詰めながら、自分が何年も先延ばしにしてきた判断を片付けている。
すぐに答えが出ないことほど、保留したまま時間だけが過ぎていく。
もし今、
「休むか、辞めるか、続けるか。」
その判断を保留したまま毎日を過ごしているなら、このSubstackでは、壊れる前に判断を整理する考え方や、再起のヒントを書いています。
また次の記事で、一緒に考えていきましょう。




